ABOUT LONDON

PhotoBy:abel_hdez

2011/04/22

イギリスおよびイングランドの首都。 世界有数の経済、文化、交通、エンターテインメントなどの中心の一つであり、ニューヨークと並ぶ世界都市、金融センターです。

ロンドンの地理

ロンドンは、北海に注ぐ三角江の河口から約64km内陸のテムズ川の下流南北両岸にまたがっています。 地質的には北西をチルターン、南をノース・ダウンズという二つのチョーク層丘陵に囲まれた向斜構造のロンドン盆地底部にあり、 地表はロンドン粘土層と呼ばれる重粘土質土壌で覆われます。シティなど都心部はテムズ川の砂礫段丘上を占め、 テムズ川河畔には低湿な氾濫原が広がります。

ロンドンの気候

ロンドンは、ケッペンの気候区分では西岸海洋性気候に分類されます。 ロンドンの緯度は樺太中部と同程度ですが、メキシコ湾流の影響を受けて温暖かつ適度の湿度を持った比較的暮らしやすい 気候となっています。ただし、一年を通して小雨や曇天がやや多いようです。 冬季の濃霧は有名ですが、かつてのスモッグは1956年の大気浄化法制定以後、石炭の代わりにガス、電気、石油の使用が推進され、 煙地帯が設定されるなど排煙が規制されてからは激減しました。

ロンドンの街並み

ロンドン中心部は、テムズ川によって北部と南部に分断され、より繁華な北部は、更にシティ・オブ・ロンドンを中心に その西側のウェスト・エンドと東側のイースト・エンドに大別されます。シティはロンドン塔を東端とするほぼ1マイル四方の土地で、 あることから、「一平方マイル」とも呼ばれています。これは古代のロンディニウムを基礎にして中世に築かれた城塞都市で、 ロンドン発祥の地。18世紀以来大英帝国の発展とともに貿易、金融など経済面で広く世界に勢力を振い、ポンド圏が縮小した今もなお、 世界経済の一大中心地でとなっています。

シティの中心は、イングランド銀行、マンションハウスと呼ばれる市長公邸、商品・金融取引所のロイヤル・エクスチェンジなどが 面する八叉路です。そこから南東には銀行や商社が立並ぶロンバード・ストリートが延びます。コーンヒル、ポールトリ、ミルク、 ブレッド、チープサイドなどの古くからの街路名や町名が現在も残っています。シティは女王の承認を得ていない唯一の自治体で、 独自の警察を持っています。シティ西部のフリート・ストリートには、新聞・通信社が多数集まっています。

ロンドンの宿泊施設

リッツ・ロンドンやコンノート、クラリッジスのような超一流ホテルから、ヒルトンやスターウッド・ホテル&リゾート、 アコーホテルズなどの国際ホテルチェーンに属するホテル、更には日本企業が運営するホテルやデザイナーズホテル、 低価格で宿泊できるB&Bに至るまで、様々な種類のホテルが豊富に揃っています。

ロンドンの芸術

長年イギリス美術は、イタリア美術やフランス美術など欧州の美術の周縁にありその後塵を拝してきました。 しかしターナーらやラファエル前派など優れた画家や独自の美術運動も登場し、デザイン分野では美術と工芸の間の壁を 取り払おうとする美術工芸運動が各国の近代デザインの運動に大きな影響を与えました。 戦後はアメリカの影響を受け、流行・デザインなどの分野では1960年代以降、ポップ音楽の隆盛と同時に対抗文化に影響を受けた 斬新な作品が多数生まれ、「スウィンギング・ロンドン」は世界中の若者の心を掴みました。 以来、ロンドンは継続して若者文化の世界的中心地となっています。

ロンドンの音楽

ロンドンはクラシック音楽のみならず、ロックやテクノに至るまで、20世紀以降の音楽史で高い水準にあります。 EMIやデッカ・レコードといったレコード会社や、多くの音楽家や専門家もロンドンを本拠地としています。 世界的に有名なオーケストラやコンサートホールにおいても同様で、BBCプロムスの開催されるロイヤル・アルバート・ホール、 ロンドン交響楽団の本拠地バービカン・センター、フィルハーモニア管弦楽団とロンドンフィルハーモニー管弦楽団が 本拠地とするロイヤル・フェスティバル・ホール、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のカドガン・ホールが存在します。 オペラでは所謂コヴェントガーデンオペラとして有名なロイヤル・オペラ・ハウスとイングリッシュ・ナショナル・オペラが 本拠地とするコリシーアム劇場があります。ロンドンは音楽大学も多数存在し、王立音楽アカデミー、王立音楽大学、 ギルドホール音楽演劇学校、トリニティ音楽院がある。ポップやロックのコンサート会場も豊富で、 大規模な会場ではアールズ・コート展示センター、ウェンブリー・アリーナ、O2アリーナがあります。

ロンドンのスポーツ

イギリスではサッカーをフットボールと呼びますが、ロンドン市内および郊外には多数のフットボール・チームが 本拠地を置いています。イングランドの1部リーグに相当するFAプレミアリーグ所属チームだけでも、 アーセナルFC、チェルシーFC、トッテナム・ホットスパーFC、フラムFC、ウェストハム・ユナイテッドFCがあります。 世界的にも著名な「サッカーの聖地」ウェンブリー・スタジアムにおいては、FAカップ決勝戦やサッカーイングランド代表の 本拠として試合が行われています。また、モータースポーツ発祥の地であることから、ロンドン郊外にはフォーミュラ1も 開催されるシルバーストンやドニントンパーク、ブランズ・ハッチなどのサーキットが点在しており、 シーズン中は様々なカテゴリーのレースが開催されています

HISTORY of LONDON

2011/04/21

ロンドンの起源はローマ帝国によるブリタニア支配にまで遡ります。ローマ人はイングランドを征服し、 43年にはテムズ川北岸、現在のシティ・オブ・ロンドンにあたる場所にロンディニウムを建設してこれをブリタニアの首都としました。 街を建設したのはローマ人だが、それ以前にこの地域周辺にはケルト人が居住しており、ローマによる初期の植民の跡が残されています。 61年には女王ブーディカに率いられたケルト族がロンディニウムを襲撃し、ローマ人から都市を奪還しました。 現在のシティにある遺跡からはこの争いによるものと見られる焼け焦げた木材などが出土しています。 ケルト族の集落はケルト語で「川のあるところ」を意味するリンディンと名づけられ、後にロンディニウムと呼ばれるようになりました。 2世紀頃には防衛のため、テムズ川岸を除く街の三方に市街壁が巡らされました。およそ4万人の人口を擁していたシティを中心として、 市内はローマとブリタニアの交易で活況を呈し、現在のウェストミンスター地区にあたる地域も独立した集落が形成されており、 現在のフリート・ストリート及びストランド・ストリートによって結ばれていました。しかし4世紀からは衰退し、 5世紀初めにはローマ人は撤退。代わってアングロ・サクソン人がこの地方を征服しました。

中世

11世紀半頃ウェセックス最後の王となったエドワード懺悔王は、ウェストミンスターに大修道院のウェストミンスター寺院と 王宮のウェストミンスター宮殿を建設しました。以後ウェストミンスター宮殿を中心とするシティ・オブ・ウェストミンスターは 政治と宗教の中心地となります。 シティはこの頃既に自治機能を有する商業都市に発展しており、ウィリアム1世はロンドン塔などの要塞をシティの 東西に建設して市民を威圧していました。

16世紀~18世紀

16世紀にヘンリー8世の元、宗教改革が進展する中で修道院解散に伴いシティ内外で没収地の開発が進みました。 これにより、多くの人口を許容できるようになったロンドンは、当時の経済発展とあわせ急激に成長し始めました。 シティとウェストミンスター間には市街地が成長して両者は一体化し、17世紀中期には人口50万以上、更に半世紀後には 70万人以上が居住しています。1566年、エリザベス1世が王立取引所を開くとシティの重要性は急速に増大します。 1666年におこったロンドン大火のため更地となったロンドン中心部は、かつて木造建築が雑然としていた町並みとは全く異なるものとなり、 市街中心部は石造に一新して不燃化され、民間投資によって標準化された住居建築群が建造され、かつてレンの構想した都市程ではないが 道路も拡幅されました。18世紀にはセント・ジェームズ・パークからリージェンツ・パークに至る大通りが敷かれ、 街路沿いにピクチャレスクな建物が整然と並ぶ景観が形成された。更に1760年代には中世からの市壁と門も取り壊されています。

産業革命

19世紀から20世紀にかけて産業革命を経験したロンドンは更に発展を遂げ、19世紀初頭にかけて橋が増設され、テムズ川南岸が発展。 東部や南部には大きな工業地帯が形成され、東部のロンドン港は世界有数の港湾となりました。1863年には世界初の地下鉄が開業するなど、 交通機関も発達して市街地は更に拡大しました。1888年、ロンドン州の発足によってそれまで別々の町だったシティと ウェストミンスターを含む現在のインナーロンドンが、初めて行政区域としてまとまりました。 19世紀にロンドンの人口は爆発的に増加し、北京を抜いて世界最大の都市となりました。 20世紀初頭には人口が440万人を超えましたが、それと同時に下水道設備の不備や貧困地域の拡大などの現代的な都市問題が 深刻化したそうです。

世界大戦

第一次世界大戦によってロンドン塔は北側が破壊され、大英博物館では18世紀と19世紀の新聞3万巻が失われました。 国会議事堂は図書館、下院、上院が甚大な損害を被りました。ギルドホールは内装の一部が焼け、オールドベイリーとして 知られる中央刑事裁判所は北東の角が破壊されました。更に、セント・ポール大聖堂やバッキンガム宮殿、ランベス宮殿、 セント・ジェームズ宮殿も被害を受けました。またドイツ空軍の爆撃機による空襲がバトル・オブ・ブリテン以後に下火になった後にも、 同軍によるV1飛行爆弾、V2ロケットによる攻撃を受け大きな被害を受けたそうです。 戦後の復興は労働力不足のため一時期滞りましたが、大ロンドン計画に基づいて推進され、都心部に郊外区域を加えた ロンドンを統括する行政府として大ロンドン議会が設置され、1950年代末までにほとんどが復興し、重要な歴史的建造物が修復されました。

1990年代以降

1990年代以降は金融に加え観光や情報産業、デザイン産業なども活気を呈しており、ドックランズのカナリー・ワーフ以後、 超高層ビルの建設が相次いでいます。2005年には2012年に開催される第30回オリンピック誘致に成功しました。 1908年および1948年に次ぐ3度目のオリンピック開催であり、同一都市としては史上最多となる。2012年には、 ヨーロッパで最も高い310mのシャード・ロンドン・ブリッジが完成する予定です。