ECONOMY of BRIATIN

2011/04/25

PhotoBy:l.bailey_beverley

IMFによると、2010年のイギリスのGDPは2兆2585億ドルであり、世界第6位。 首都ロンドンはニューヨークや香港と並ぶ世界三大金融センターです。ロンドンのシティには、世界屈指の証券取引所である ロンドン証券取引所があります。イギリスの外国為替の1日平均取引金額は1兆8536億ドルと、アメリカの2倍以上、 日本の5倍以上の規模があり、世界一です。18世紀の産業革命以降、近代において世界経済をリードする工業国で、 造船や航空機製造などの重工業から金融業やエンターテイメント産業に至るまで、様々な産業が盛んです。 しかし、19世紀後半からはアメリカ合衆国、ドイツ帝国の工業化により世界的優位は失われてしまいました。

戦後の経済政策の基調は市場と国営セクター双方を活用する混合経済体制となり、左派の労働党は「ゆりかごから墓場まで」と 呼ばれる公共福祉の改善に力を入れ、保守党も基本的にこれに近い政策を踏襲、1960年代には世界有数の福祉国家になりました。 しかし、景気回復になんら実用的な手立てを打たなかったために、継続的な不況に陥り、企業の倒産やストが相次ぎました。 20世紀初頭から沈滞を続けたイギリス経済は深刻に行き詰まり、イギリス病とまで呼ばれました。

1979年に登場したサッチャー政権下で国営企業の民営化や各種規制の緩和が進められ、1980年代後半には海外からの 直接投資や証券投資が拡大しました。この過程で製造業や鉱業部門の労働者が大量解雇され、深刻な失業問題が発生。 基幹産業の一つである自動車産業の殆どが外国企業の傘下に下ったが、外国からの投資の拡大を、しだいに自国の産業の 活性化や雇用の増大に繋げて行き、その後の経済復調のきっかけにして行いました。 その後、1997年に登場したブレア政権における経済政策の成功などにより、経済は復調し、アメリカや他のヨーロッパの国に 先駆けて好景気を享受するようになりましたが、その反面でロンドンを除く地方は経済発展から取り残され、 貧富の差の拡大や不動産価格の上昇などの問題が噴出してきています。

RAIL TRANSPORT in GREAT BRITAIN

2011/04/24

イギリスの鉄道はもともと、小規模の民間地方鉄道の運営する地方路線の集まりとして出来ました。 19世紀から20世紀前期にかけて、競合他社の買収などを通じ比較的大規模な少数の会社が残りました。 第一次世界大戦時には全国の鉄道網は政府の管理下に置かれ、合併によるメリットが出てきました。 しかし政府は全国鉄道の国有化は行いませんでした。しかし1923年1月1日より競争に残ったほとんどの会社は四大鉄道会社。 当時の「ビッグ・フォー」はグレート・ウェスタン鉄道、ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道、 ロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道、サザン鉄道。 「ビッグ・フォー」は共同株式所有会社で1947年12月31日まで運行しました。

1920年代と1930年代の道路輸送の急成長により、鉄道会社の収入は大きく減少しました。 これを政府の道路建設政策による道路輸送優先志向の結果とみる向きもあります。 1948年に「ビッグ・フォー」は国有化され、イギリス運輸委員会傘下の「イギリス国鉄」となりました。 イギリス国鉄はひとつの組織でありましたが、運行地域によって6つの地域組織に分割されました。当初いくつかの変化はありましたが、 利用者数は増加し、利益が出るようになりました。1954年までに軌道と駅の近代化が完成。同年、道路輸送業務の民営化を含む イギリス交通委員会の交通政策管理が終了しました。鉄道収入は減少し、1955年には再び赤字に転落。 1950年代半ばディーゼルと電気車両の急激な導入を行いましたが、それに見合った道路輸送から鉄道への切り替えは起こらず、 損失は積み上がるばかりであったそうです。収益向上の要求は、1960年代半ばの大規模な路線縮小につながりました。

旅客輸送業務は、1970年代に都市間の高速鉄道の導入で再生期を迎えました。1980年代には政府の援助は大きくカットされ、 インフレ以上に運賃は高騰し、サービスは下がってしまいました。1990年代初期には 5つの地域組織が「部門」に置き換えられ、 また旅客輸送業務は「インターシティ」、「サウスウェスト・ネットワーク」、「その他地域業務部門」に分けられました。 新組織はより効率的な運営を狙いましたが、2年の組織運営のうちに民営化プロセスに移行しました。

1994年〜1997年の間にイギリス国鉄は上下分離方式での分割民営化が実施されることとなりました。 軌道とインフラの所有は「レールトラック社」に受け継がれ、旅客輸送業務は民間の列車運行会社に、 また貨物輸送業務は即時民間に売却されました。政府は分割民営化は旅客サービスの向上につながると表明。 乗客数はその後1950年代後半のレベルまで上昇しました。

ABOUT BRITISH LITERATURE HISTORY

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2011/04/23

中世前期

イギリス文学の範疇に含まれる文学テキストは、8世紀~9世紀頃に成立したものからしか残されておらず、 従って周辺ヨーロッパ文学において古代と呼ばれる時代に該当するテクストはイギリス文学においては存在しません。 中世の前半期と呼べる8~11世紀に古英語が成立し、現代英語の源流となっていますが、その古英語で書かれたテキストとして、 叙事詩『ベオウルフ』およびラテン語福音書の東イングランド方言による翻訳が挙げられます。また、ウェセックス王国の アルフレッド大王が文教政策を推し進め、『パリ詩篇』やボエティウスの『哲学の慰め』を自らラテン語から翻訳するなど、 ウェセックス方言が古英語の標準となりました。

中世後期

1066年にフランスのノルマンディー公ギヨームがイングランドに攻め入り、ウィリアム1世として即位してノルマン朝が成立すると、 英語は屈折語尾の消失や統語も語順への依存度を増すなど、中英語へと進化していきます。中英語期のテキストの金字塔としては、 ジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』があります。ロンドン方言で書かれているが、イタリア、フランスへ渡ったことが あるとされるチョーサーは大陸的詩作法の影響を大いに受け、ゲルマン詩の特徴であった頭韻を脱し、脚韻を用いています。 同時代の詩人では、『ガウェイン卿と緑の騎士』のガウェイン詩人、『農夫ピアズの夢』のウィリアム・ラングランドが有名。 1450年頃、ヨハン・グーテンベルクによる活版印刷技術の発明がウィリアム・キャクストンによってイギリスに持ち込まれ、 印刷が急速に広まりました。

ルネッサンスとエリザベス朝演劇

16世紀頃には、屈折語尾は現代英語に限りなく近い形へと消失、SVO型という語順も定着します。ただ、18世紀までは初期現代英語 あるいは近世英語と呼んで区別する場合があります。エリザベス朝の頃に文学は盛んになりました。 サー・トーマス・ワイアットの叙情恋愛歌を先駆とし、エリザベス1世のためにエドマンド・スペンサーが『妖精の女王』を書くなど、 宮廷の庇護を受けた感もあります。また、中世のころから教会で行われていた奇蹟劇、教訓劇はや次第に専門化され、 そのためこぞって脚本が多く書かれました。リリー、ロバート・グリーンなどの優れた劇作家が輩出され、マーロウによって 基礎が築かれました。リリー、グリーン、マーロウ、キッド、トマス・ロッジたち、オックスフォード・ケンブリッジ大学の出身です。 エリザベス朝における作家人たちを、大学才子といい、彼らの作風や、当時流行していた大陸の詩などを学び、 シェイクスピアが成功をおさめることとなります。彼は四大悲劇『ハムレット』、『マクベス』、『オセロ』、『リア王』などを書き、 詩人としても多くのソネットを残しました。その卓越した作品群は、イギリス文学のみならず各地域の文学、演劇などの ジャンルに大きな影響を与え続けています。

王政復古~ビクトリア朝時代

17世紀に入ると、ジョン・ダンやジョージ・ハーバートなどの形而上詩人が活躍。 演劇では、ベン・ジョンソン、ジョン・ウェブスターらが活躍。また清教徒革命を背景としてミルトンが活躍。 英語による小説が盛んになったのは1719年のデフォー作『ロビンソン・クルーソー』からです。 さらにスウィフトは『ガリバー旅行記』を書き、中期にはヘンリー・フィールディングが傑作『トム・ジョーンズ』を発表しました。 18世紀の終わりごろにはゴシック小説が流行しはじめました。 イギリスのロマン主義は、ワーズワース、コールリッジの共著『抒情歌謡集』に始まります。 ワーズワース、コールリッジはフランス革命に対し憤慨した後保守派に回ったが、バイロン、シェリー、キーツはイタリアに移り、 理想主義を掲げました。

ビクトリア朝時代になり、国民と長らく遠ざかっていた宮廷が親密なものとなりました。 これに順応したのは、詩人のテニソンでした。テニソンは『アーサー王伝説』に取材した『国王牧歌』で、 当時の倫理観をもとに描ききりました。 国家の自己満足に反抗したのが、ブロンテ姉妹や、カーライルら。 ディケンズは『オリバー・ツイスト』『デイヴィット・コパフィールド』、サッカレーは『虚栄の市』を発表。 ブロンテ姉妹のうち、長女シャーロットは『ジェーン・エア』を、次女エミリーは『嵐が丘』を発表し、当時の社会を打破しようと試みました 19世紀中盤の教育制度の発達と共に、挿絵を含むものが多くなり、ディケンズはもちろんのこと、ルイス・キャロルの 『不思議の国のアリス』などは、すでに挿絵が作品の一部である例といえます。

20世紀

20世紀に入り、主な旗手として、アメリカ出身で後にイギリスに帰化した詩人のT・S・エリオット、アイルランド出身の小説家の ジェイムズ・ジョイス、フェミニストとしても有名なヴァージニア・ウルフらをあげることができます。 第二次世界大戦後のイギリスは特に1960年代に大量に移民を受け入れて以来、多文化国家であり、 文学にもその影響は如実に現れています。サルマン・ラシュディや、また近年ではアルンダティ・ロイやゼイディー・スミス、 カズオ・イシグロのように、非白人の書いた小説が高い評価を受けています。